キリストに出会う前の私

私は大手メーカーと共同で製品開発を行う会社で働き、毎日がメーカーどうしの開発競争による残業の連続でした。徹夜も多く、心身ともに疲れ切っていました。結婚し、長男・長女も生まれ、責任は増すばかりでした。

そんなある夜、義母を妻の兄の家に送る途中で突然激痛に襲われ、運転不能となり同席していた妻の運転で入院しました・当初は医師から「夏場になり易い一過性の大腸過敏症」と言われ、責任者の医師から暫らくすれば退院できます。と言われましたが、それ以前にも腹痛が何度もあり、痛みと共に便通がおさまると自然に痛みが治まる事が多々ありましたが、今度の激痛程ではありませんでした。ですから、今度の状態は「一過性の大腸過敏症」によるものとは、どうしても納得できず、若い韓国人R医師に再検査を願い出ました。すると大腸の一部が閉塞しかけており、このままでは命に関わる状態ですが、ここでの手術は難しいと宣告されました。

早速、妻が実家の両親に電話して郷里の岡山済生会病院に明日入院出来る段取りが進められました。心配して迎えに来てくれた母と一緒に岡山へ戻る途中の新幹線でも激痛が再発したため、私は「明日の入院までは持たない、今夜入院させてくれ」と母に叫び頼みました。岡山の病院では偶然にも高校の同級生のK医師が夜勤で、その夜に入院する事となり、数日間の検査の後、名医で有名なM副院長(後の医院長)の執刀で手術が行われ、無事に命は守られました。 ‥‥今振り返ると、ここにも神様の守りがありました。

退院後も不安は消えず、妻も心を痛めていました。私たちは藁をもすがる思いであらゆる偶像礼拝に頼りながらも、心の奥では「本当の神」を求めていました。ある夜、夫婦で 「本当に神様がおられるなら、この天井を突き破ってでも私の健康と私たちの家庭を守ってください」 と心を合わせて大きな叫び声を上げて祈りました。

その直後、いつも見る新聞ですが、なぜかその日の新聞に挟まっていた英会話教室のチラシが目に入り、すぐに電話しました。講師はエブエリン・オーエン宣教師で日本には当時でも30年以上滞在中とのことで日本語が非常に堪能でした。しばらく英会話クラスに夫婦で通っているうちにその場所が日曜日には教会となる事を知り、教会へは娘も招き家族3人で通うようになりました。

私が心の奥で求めていたのは、 「自分の手術後の早期回復と職場への復帰」、家族の健康」と「家族の一致」 でした

 
 

キリストをどのように知ったか

教会に通い始めてしばらくした頃、教会の母教会からスンベリ師(関西聖書学院初代学院長)が説教に来られました。そのメッセージが、今までにないほど心に深く響きました。

特に、ヨハネの福音書21章から語られて中でも、イエスがシモンに 「あなたはわたしを愛しますか」 と繰り返し問われる箇所が強く心に残りました。

その夜、寝ていると、その聖書の言葉がまるでテープレコーダーのように耳元で何度も繰り返されたのです。未信者の私には、それが「神の声」としか思えませんでした。

体中から汗が噴き出し、抑えきれない衝撃に思わず妻を揺り起こしました。 そして無意識のうちに、 「はい、私はあなたを愛します」 と応答していました。

その瞬間、耳元の声が消えていました。それが、私のキリストとの出会いでした。 信じる前に、聖霊の強い働きを体験したのです。

それから家族で教会に通うようになり、やがてオーエン宣教師や、牧師の話を聞く内に洗礼へと導かれて翌年には家族3人同時に洗礼を受けました。

 

キリストに出会ってから、私の人生は変わりました

暫く通う内に、家族会議を開いた時、3人の意見が一致し(私は深夜に放送されたTV版組の録画から)妻は婦人集会から、娘は音楽仲間から変わりたい」教会の話が出て、意見と共に変わりたい教会が偶然一致し、(実は、そこが現在の私たちの母教会)に正式に移る事が出来ました。実際にその教会に行くと、驚いた事に、妻が以前に夢で見た時に見た女性たちが働いていてビックリした。と妻は後に証しもしました。

そして2008年に入ってすぐに、家族で祈り、母教会から独立して開拓を始める決心をしました。当初は、松井山手の自宅を開放し、食堂と応接間のテーブルを庭に出して礼拝を始めました。日曜礼拝は最初は数人でしたが、2ヶ月毎に行う(1年に6回)長老先生をお迎えして行う特別聖会には、多くの人々が集められ、やがて1階に満ちあふれ、2階への階段にまで人が座るほどになりました。そのうち、日曜礼拝でも少しづつ人が増え、家族全員が洗礼を受ける家庭も与えられ、まるで初代教会のようでした。

しかし駐車場の狭さや、近隣から賛美奏楽の音漏れや出入りする車や人々の話声が騒音に思われ苦情が出て、移転が必要になり、自宅を売却して新しい会堂を探すことになりました。60歳を超えていた私に銀行融資が通ることは本来あり得ないと言われましたが、神様の導きで別の銀行から融資が与えられ、会堂購入とリフォームが実現しました。

  高齢にもかかわらず、銀行融資が通った理由と考えられる要因

以前に2年間と言う任期付きで応募のあった、上級地方公務員として採用され、IT部門に配属され働いていた後、任期後も府の別な土木事務所関係の仕事や新設された府民総合案内相談センター、などの幾つかの職場を紹介され、引き続き臨時職員として働かせて頂きました。いよいよ高齢に入る頃には退職しました。その間、特に、2011年の春ごろ、京都府庁からの突然の要請で東日本大震災の為の災害防災対策本部で被災者支援業務に携わったこともあります。ですから、それまで府庁関係の色々な職場を勤務しつつ当時まで安定した収入が認められたために、ローン審査の助けにもなりました。 この働きも、神様が必要な時に備えてくださったものだと確信しています。

新しく見つけた物件は元は夜はスナックだった為セメント作りの単色の建物でした。が、新しい教会としての建物は、デザイナーの方の奉仕により、緑と白を基調とした教会らしい会堂へと生まれ変わり、20146月に現在の会堂が完成しました。

 

まとめ

キリストに出会う前、私は不安と疲れの中にいました。 しかし、神様は病の中で守り、御言葉で呼びかけ、聖霊によって私に高齢にもかかわらず京都府庁で働けただけでなく、東日本大震災の時にも支援要員として用いて頂け生活面の不安も取り除いて下さいました。 そして今、自分たちの教会が与えられ、さらに神様の喜ばれる教会へと建て上げる働きに家族と共に生かされています。

神様と共に、家族の協力と指導して下さる長老先生、母教会の牧師先生、私たちの教会の為に祈って下さる皆様方に心から感謝します。

ここまで来れているのは、本当にすべては主の恵みだと確信します。

わたしはイエスを知ったことで私の人生は完全に変えられました。


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